医療格差と田舎暮らし
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作成日時 : 2007/09/14 16:41
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入院先まで抱え込んでいた原稿もほぼ書き終わりました。
やっと入院しているという実感が湧いてきたところです。
依然、歩行はおぼつかないのですが、発作的に襲っていた、ちぎれるような右足の痛みは薬のおかげで収まっています。
写真は、ワタシの椎間板ヘルニア君です。MRIを撮った病院がポストカードにしてくれました。
下から二番目の黒い場所が潰れて水分を失った椎間板だそうで、矢印の先が、飛び出して神経を圧迫していると目される部分です。
こんな小さなでっぱりが神経に触れるだけで、人は起き上がれなくなってしまうのですね。
入院してしみじみわかったのは、痛みはあらゆる意欲や希望をそぐということ。しかし、野生動物なら死を迎える以外はない状況でも、人は投薬や手術で回避することができます。
現代医学の偉大さ、ありがたさを実感しています。
同時に考えたのは医療格差のことでした。
私の住んでいるところは、遠距離通勤圏とはいえ、車で30〜40分も走れば入院施設のある大病院がいくつもあります。
入院中の病院は夜中に救急車がしょっちゅう来ますし、ヘリポートもあります。
病院のベッドで思ったのは、これまで取材で訪ねた中山間地域や離島に比べれば、自分が住む「B級田園地帯」は、はるかに恵まれている、ということでした。
「あの山奥の集落から市街の総合病院に出るまでは、いったいどれだけ時間がかかるのだろう」
「台風のときに急患がでたら、あの島ではどうしていたのか」
「家族が病院へ顔を出すのもたいへんだろうな」
そんな地域が日本にはたくさんあります。
いま、定年後の第二の人生を自然豊かな田舎で過ごしたいと考えている人がたくさんおり、各自治体も、Uターンの斡旋を積極的に行なっています。
私もそうしたうねりを漫然と支持し、ひそかに憧れてもきたのですが、入院して少し考えが変わりました。
終の棲家は、セーフティーネットが充実したところだなあと。
(人的ネットワークも含め)
もちろん元気なうちは、医療格差なんてそんなに気になりません。
10年以上前に東京の家を息子に譲り、別荘地に移り住んで農的生活を始めた業界の大先輩が、しみじみこう言ったのを思い出しました。
「家を売ってまで移っちゃだめだよ。オレは何かあれば息子のところに戻れるけど、このへんでは、急に旦那が亡くなってしまい、帰るところがなくて困っている女の人が何人かいるよ。車の免許を持っていないし、バス停まで距離があるから病院へいくのも大変。」
一方で田舎には「定住者には集落機能維持の担い手として期待しているのであり、期間限定のレジャー感覚で来れらるのは迷惑」という声もあるやに聞きます。
誘致に熱心な自治体も、住むなら共同体の一員として迎えるので、生涯を終える気で来て欲しいということでしょう。
これも気持ちとしては理解できます。
入院レポートのはずが、だんだん重い話になって考えがまとまらなくなってしまいました。すみません。
結論は、人間、健康が第一ということです。皆さんもお気をつけて。い
★追記:本文の趣旨は「田舎は医療格差があるので住むのに不便だ」ということではありません。医療や福祉など、基本的人権にも関わる分野においては、享受の差があってはならないという意味です。
地域間格差の問題は喫緊の政治テーマだということが、わが身の痛みから実感としてわかったのでありました。
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